●中華点々祭● 01


「私はウー。ロン大師の弟子だ」
 ウー? 聞いたこと、ある。確か、ロン大法師様の一番弟子だ。
「自分は、チャルと申します。大法師様にお会いする為に来ました」
「…。あの方は誰とも会わぬ。帰れ」
「そんな!! どうしてもお会いしなくてはならないのです!! はるばる東海を越えてやって来ました! 大法師様にお会いする為だけに!! それを会えないという理由だけで、むざむざ帰れません!!」
「…それでは、いったい何用で、そこまで大師に会いたいと言うのだ?」
「それは…」
 大法師様は、優れた薬師でもある。ただでさえ高価な薬を、彼は治療を受けられない貧しい人や難病を抱えた人々のため、自ら研究し、作り、安価で、時には無料で配ったそうだ。
『助けを求めて来る者を無碍には出来ぬ』とおっしゃって…。
 その薬は、そこいらの医者が練ったものよりも、遥かに薬効高く、何人もの人々が、その命を救われた。
 それから、この寺院には、毎日のように”大法師様の薬”を求めてやってくる人が後を絶たないと聞く。
 チャルも、それを聞いてここに来たうちの一人だった。
「言えません…」
 不治の病と医者に見離された母を救うために。
 しかし、今では薬を求める人があまりにも多すぎて、それを手に入れるのは至難の業、いや、ほぼ不可能とまで言われていた。
 それでも、どうにか藁をもすがる思いで、駆け込む人間は絶えないようだが。
 誰もが己の熱意にかけて、大法師様と掛け合おうとしても、門下生がそれを許さないのだ。
「ほう…。人には言えないような用事でか…? それでは、ますますもって帰ってもらわなくてはな…」
「あっ! そんな!!」
 ウーという門下生はチャルを力づくで追い出そうと腕をつかんだ。
「…大方、病に倒れた身内を救うために薬が欲しい…といった所か」
「つッ!!」
「お前のような奴はいくらでもいる。毎日のように来る…が、ここは薬屋じゃない。
 ロン大師も万能ではない。薬を欲する輩の多さに応えようとして…ここのところ体調をくずしておられるのだ。
 己のことだけでなく、大師のことも考えたらどうだ? あの方はお優しい。しかし、あの方は薬を作るだけの機械ではない」
「…大法師様が……」
 世にも有名な薬作りの天才。遠い東海を越えた村にまでその噂は届くほどだ。
 なのに、かの人が倒れたなどという事は、ほんの少しも聞かなかった。皆が大法師様ではなく、薬のことに関心を示しているからだ…。
「そうだ。ここしばらく床から起き上がられぬほどの衰弱ぶりだ。薬作りなど、言語道断。絶対にさせてはならんのだ。お前にもわかるであろう?
 大師は己も身をも削って薬を作っていらした。このままでは大師の身が持たないのだ。諦めてくれ」
「……」
 引っ張られるようにして、大門まで連れて来られた。来る時は、あんなに苦労した三百段の階段を、いつの間にか降りていた。
「辛いだろうが、それが定めだ。気を落とすことのないよう…」
「あのっ!!」
「ぬ。なんだ?」
「あのぅ…その、私をこちらに……その! 少しでいいので、置いていただけないでしょうか…?」
「…どういうことだ?」
 いきなり口走ったことに頭が着いていかなかったが、それでも勢いだけで口は動いた。
「つまり…弟子志願、をしたいのです…」
「…突然だな? 何の為にだ? 大師の薬を諦め切れなくて潜り込む輩もいるのでな…」
 じろり、と怖そうな目つきでねめつけるウー。でも、その疑いだけは、と衝動的に首を振っていた。
「そういうわけじゃっ…!! ただ…お会いできなくてもいいのです…大法師様を、一目、見てみたいと思いまして…」
「ほう?」
「それだけなのです…」
「しかし、お前は故郷に病の身内が待っているのであろう?」
「それは…」
「どういうつもりか知らんが、志願の理由が理由なのでな。それは認められん」
「…そう、ですか……」
「お前も早く帰った方がいい。最後を見とれないほど辛いこともない」
「…わかりました。…すみませんでした、失礼します…」
「気にするな。ではな」
 もうどうしようもない。このまま、負け犬のように家に帰るしかないのだ。薬を持ってないのに、急ぎ急いで…。
 助けるためじゃなく、最後を看取るためだけに急いで帰らなくてはならないんだ…。
 ここまで来れば、ここまで来ればと思っただけに、衝撃が大きい。気の抜けた風船のように…。このまま風の吹くままに、どこへでも飛ばされて行きそうだ。
「ちょっと、ウー!」
 その時、後ろから聞くも鮮やかな女性の声がした。思わず振り返ってしまう。…綺麗な、若い人が立っていた。
「一人を相手に、いつまで時間くってるの!?」
{うむむ…アイレイ(愛鈴)」
「どうしたのよ、手間取って! いつものあなたらしくないじゃない」
「それが…」
「何なのよ、はっきりおっしゃい。ウジウジした男は嫌われるのよ」
「うむむ…」
 ウーは厳つい顔をいつもよりも厳しくさせた。だからこの女は苦手なのだ、と苦虫を噛み潰す。
「大師の噂が東海を越えた田舎にまで伝わっていた事と、薬を求めてきたのが意外に若かった…いや、若いというより、まだ子供だったのに驚いてな、いらんことを喋ってしまったかもしれん。それだけだ」
 遠すぎて何を話しているかはよく聞こえない。
「ふーん、そう。…あら?」
 ふと、女性がこっちを見た。
 ドキっとして前を向いて歩き出してしまう。見てたのを知られるのが怖いような、恥ずかしいような…。不道徳だったと自分を罵りながら。
「もしかして、あの子? まだここに居るじゃない。こっち見てたわよ」
「ん? ああ、そうだ。大師の具合の悪さを教えてやったら、心動かされたようで、一目お会いしたいと言い出してな。そのために突拍子もなく弟子志願をしたいとまで言ってな」
「へぇ〜。いい子じゃないの」
「だが、そんな理由で弟子をもうける訳にはいかんのでな、きっちり駄目だと言った」
「…いや、いいわ」
「…はっ? おい、アイレイ。お前、どこを見て…」
「いいじゃない」
 くす、とアイレイが魅惑的に笑う。その何か企んでいそうな目つきに嫌な予感がしたウーだが、
「あの子。気に入ったわ。まだあんなに小さいのに、頑張っちゃって。どうせ薬はあげられないんだから、大師を一目拝ませてあげるくらい、どうってことないでしょ? 三日くらいいいんじゃないの? 庭掃除でも薬欲しがる人追い返すのでもやらせておけば。簡単でしょ? あなたなら…違う? ウー」
「……」
 一気に穏やかに捲くし立てられた気分だ。口を挟める隙がなかった。
「ロン大師の一番弟子のあなたなら…これくらいの融通、利くでしょ?」
「…だからと言ってだな…!!」
「いいわ。照れ屋なあなたの代わりにあたしが前言撤回してきてあげる〜!」
「お、おい! アイレイ! 待たんかっ!!」
 走り出したアイレイに、しかし門番の責任者でもあるウーは虚しく声を張り上げるだけだった。

 西の果て。西都。
 裕福な人も貧しい人も、等しく同じ界隈に住む。不思議な喧騒が覆う賑やかな町。
「…」
 周りには、これでもか、というくらいに色とりどりの品物が置いてある。着飾った売り子たちが、負けじと声を張る。
 賑やかな、明るい町。
 チャルの故郷とはあまりにもかけ離れている所為か、余計に寂しさを感じる。身を縮めるような寂しさから逃れるように屋台を眺める。
 綺麗な色の服も、輝く金の簪も、何もなかったけれど、美しかった昔の面影を残した母の老いた顔が、一番好きだった。あそこでの『綺麗』の全てだった。
 買いもしないのに、品物を手に取るのは抵抗があったが、あまりにもキレイだったから、母に似合いそうだと金細工をひとつ手に取る。
 太陽にさらされた外で売られている物で、大した値打ちもない物だけど、日の光を浴びて、一番綺麗な姿で売られている。緑の色石を施された簡素な物だったけど、母にはこういう物が似合うような気がした。一枚だけあった、昔の艶姿を書いた絵が、目の裏に浮かぶ。
 色香露わに、妖しく優しく微笑む絶世の美女……。
「あら。もしかして病の身内って…好きな娘だったりするのかしら?」
 突然の声にはっとして顔を上げると、太陽を遮るように、ウーに声をかけた女の人がいた。
「あ、あなたは」
「さっき会ったじゃない」
「え、えっと…」
 見ていたのはバレバレだったようだ。思いっきりバレてる。顔もしっかり見られていたようだ。
 混乱と羞恥で赤くなる。そして、ますます混乱する。
「あ、会ってないか? でも、顔ぐらいは見たから分かるでしょ?」
「は、はい、それは…」
「あたしね、寺院で働いてるの。さっきウーから話を聞いたわ。ロン大師に会いたいんですってね?」
「えっ、そ、それは…」
「だから、さっき聞いたの。あの時、ウーは突然過ぎて、とっさに断ったけど後から後悔して、あたしに伝言頼んだのよ」
「え、それじゃあ…!?」
「ええ、そうよ。三日くらいなら融通きくから寺院で扱き使ってやるって。半分潜りみたいなもんだから、気をつけてね」
 今にも泣きそうな、嬉しそうなチャルの顔を見て、アイレイは、にっこりと笑った。
「でも、良かったね」
「はっはい!!」
「じゃあ、寺院に行きましょ。ウーの所まで案内するわ。そこから後はウーに従ってね」
「はい!」
「あ。それとその簪持ってったら駄目よ? 買うならお金払わなきゃ。違うなら戻さないと」
「えっ、あ! 忘れてました…」
 きつく握り締めたままだった金の簪を少し名残惜しそうに返す。
 売り子の娘はちらりとチャルと簪を見た後、何事もなかったようにすまし顔に戻った。
「さ、じゃあ行きましょ」
「はいっ」

 チャルは最初の目的である”大法師様の薬”を手に入れるという事はなかったが、噂の大法師様を一目見たいという願望は、運良く叶えられようとしていた。チャルはこの幸運に感謝しながら、寺院に再度足を踏み入れた。



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